• 目次
  • 4  私たちだから、できるかもしれない
  • 6  ジャン・ユベール氏が教えてくれた理由
  • 8  牛乳を運んではいけない
  • 10  37haの放牧地で長生きできる牛たち
  • 12  チーズが笑っている、泣いている
  • 14  札幌軟石を使った熟成庫にはオーブがいる

私たちだから、できるかもしれない

共働学舎新得農場がある牛乳山は、かつて町営の放牧場でした。新得で最初に牛乳を搾った場所で、町民たちは一升瓶を持って麓まで牛乳を買いに来ていたといいます。日のあたる南斜面のこの地に、私たちが農場を開いたのは1978年6月の終わり。経済優先の世の中からはじき出された人々と共に「自労自活」の生活をめざしましたが、牛乳の出荷だけでは生活は成り立ちません。流行に左右されることなく、スローペースの私たちが生み出せるものは何か。考えたのが、当時、ほかの酪農家は手を出さなかったハード系のナチュラルチーズでした。じっくり時間をかけて熟成させなければ、本物の味に仕上げることのできない製法なら、私たちの得意分野になるはず。そう信じて、チーズに適した牛乳を出すブラウンスイスを手に入れたのは1987年のことでした。

牛乳を運んではいけない

ユベール氏が来日したのは1990年。「牛乳を運ぶな」という教えは、本物のチーズづくりに最も大切な言葉でした。自分の牧場で搾った牛乳だけを使えばトレーサビリティをつなげておくことや品質保証もしやすく、牛乳の機械による劣化を防ぐことができるからです。さっそく、牛乳を運ばなくてもすむ牛舎、搾乳室、チーズ工房の工夫を考えました。まず、牛舎は木造にし、炭を埋めてマイナスイオンを高め、牛のエサや寝床に粉炭と微生物を混ぜることで、悪臭と汚水処理を解決。衛生管理上、搾乳室とは50m以上離すのが常識ですが、それを23mに短縮しました。また、搾乳室からチーズ工房まで自然の傾斜をつけ、自然流下式のパイプラインで牛乳を流しています。衛生的に搾りたての生きた牛乳を傷めなければ、発酵作用により雑菌を抑えてチーズをつくることができるのです。

ジャン・ユベール氏が教えてくれた理由

新得農場のチーズが世界でも認められるほど成長できたのは、1989年、フランスAOCチーズ協会会長ジャン・ユベール氏との出会いがきっかけです。フランスには無殺菌乳でつくる伝統的なチーズ文化があります。その伝承が工業化の波に脅かされたとき、食文化とそれをつくる人々の生活を守るために、牧畜地域から牛種、製造法、熟成法まで昔ながらの製法をルールにしたAOC認証が法制化されました。本物のチーズづくりをめざしていた代表の宮嶋望に、ユベール氏は言いました。「産業の機械化によって壊されてしまった味がある。しかし、我々は昔ながらの製法を基準として伝統の味を守っている。それが本物ということだ。おまえが傷ついた人間とともに、必死にそれを守ろうとしているのなら、本物のチーズについて教えに行こうじゃないか」
※AOCとは、アペラシオン・ドュ・オリージーヌ・コントローレ(原産地統制呼称)の略で、フランスの農業製品、ワイン、チーズなどに与えられる認証。

37haの放牧地で長生きできる牛たち

現在、新得農場で飼育されている牛は約100頭ほど。そのうち6割ほどの牛が毎日おいしいミルクを出してくれています。牛の種類は、スイス原産のブラウンスイスが中心(2017年末には全頭ブラウンスイスになる予定です)。足腰が丈夫で放牧に向いているブラウンスイスの乳質はチーズ作りに向いています。味にコクと甘みがあり、同量の牛乳からホルスタインよりも2割以上多くのチーズを作ることができます。牛も人間と同じで、ストレスのない環境では、よい働きをします。37haもの放牧地で過ごし、春から秋にかけて青草を豊富に食べた牛のミルクは、長期熟成タイプのチーズに適しています。雪が深い冬は環境の良い牛舎で過ごし、夏の間に丹精込めて収穫した牧草などの自給飼料が主な餌になります。この季節の牛乳は乳脂肪が高くソフト系のチーズはクリーミーな味わいに仕上がります。本来、牛は20年以上生きる動物。4、5年で牛を使い捨てにするのではなく、少しでも長生きできる自然体の飼育を心がけています。

チーズが笑っている、泣いている

ソフト系、セミハード系、ハード系と、チーズのタイプによって製造方法や熟成期間が違うので、新得農場ではチーズの種類ごとに一人の職人が最初から最後まで責任を持って面倒を見ます。チーズづくりには、数値や温度に頼ったマニュアルより、レンネット(凝乳酵素)を加える瞬間、攪拌するタイミングなど、微生物と会話しながら呼吸を合わせることが大切です。その状態の良し悪しで「チーズが笑顔に見える。今日は泣いている」と表現することがあります。放牧地も広がり、放牧する時間や環境が少しずつ理想に近づいている新得農場では、笑顔に見えるチーズが増えたように感じます。ときどき泣いて見えるのは、チーズが生き物だということ。私たちは、ちょっとした表情の違いを見逃さず、感受性の豊かな子どもたちと向き合うように、毎日、チーズと接しています。

札幌軟石を使った熟成庫にはオーブがいる

チーズを熟成させる理想的な環境は、湿度85~95%、気温8~12℃、マイナスイオンが十分にあること、空気を極度に動かさないこと。ヨーロッパでは石灰岩の洞窟や鉱山の廃坑でチーズを熟成させているところがあるほど、味覚や風味を左右します。新得農場では、その条件を整えるために、鉄筋を使わずに札幌軟石を積んで半地下の熟成庫を造りました。これほど湿度が高いのに炭と自然の軟石を使うことで、結露による影響を心配することはありません。普段は目に見えませんが、カメラのフラッシュをたくと白くて丸いオーブ(たまゆら現象)が写ることがあります。その正体は、庫内の空気中に浮かんだマイナスイオンに囲まれた小さな水滴が光に反射したもの。オーブが発生しやすい環境は、チーズにとって居心地のよい熟成庫の証しでもあるのです。

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